季節の変わり目になると、体調を崩す方が増えます。
その「かぜ」を、私たちは漢字で「風邪」と書きます。風の邪と書いて、かぜ。普段は何気なく使っている二文字ですが、改めて見ると不思議な言葉です。
なぜ、病気を風邪と書くのでしょうか。
私はこの言葉の中に、ウイルスという概念がなかった時代の人が、体調を崩すという出来事をどう理解していたのかが残っていると思っています。
今回は、風邪という漢字から見えてくる邪という考え方について書きます。歴史や東洋医学の専門的な解説ではなく、そこから私が考えたこととしてお読みください。
体調を崩したときは、医療機関が先です
体調を崩したときに、まず考えるべきは医学的な原因です。風邪のような症状があれば、必要に応じて医療機関を受診してください。
この記事は、風邪の原因が霊的な影響だと言うためのものではありません。病原体によって起こる感染症があることと、昔の人が病気をどう理解していたかは、別の話です。
人は、原因の分からない出来事に出会ったとき、そこに意味付けをします。昔の人は、病気という出来事にどんな意味(名前)をつけたのか。 これは、その考察です。
邪とは、魔物のことではありません
風邪という言葉は、風と邪に分けて読みたくなります。風によって邪が運ばれてくる、と説明されることもあります。
ただ、そこで一度立ち止まりたいのが、邪とは何かという部分です。
邪気と聞くと、悪霊や魔物のようなものを思い浮かべる方が多いと思います。私自身が霊的なことを扱っているので、なおさらそう読まれるかもしれません。
ですが、東洋医学における邪は、必ずしもそういう意味ではありません。体にとって正常ではないもの。体の働きを乱すもの。外から体に影響を与えるもの。そうした好ましくないものをまとめて指す言葉として使われてきました。
つまり、自分の体を乱している何か、と捉えたほうが実際の意味に近いです。
そして東洋医学では、風も体に影響を与える外的な要因の一つとして数えられています。そこに邪という概念が重なって、風邪という言葉が生まれました。
風が邪気を運んでくるという一枚の絵で理解するよりも、風という自然現象と、体に異常をもたらす邪という考え方を組み合わせて、病気の起こり方を説明した言葉。そう捉えたほうが、私は面白いと思います。
一人だけ震えている、という状況
なぜ、そうした考え方が必要だったのか。
風邪の症状を並べてみます。発熱、気怠さ、喉の痛み、悪寒、関節の痛み。ひどくなれば、体を動かすことさえつらくなります。
少し想像してみてください。昨日まで普通にしていた人が、今日は寒さに震えている。熱が出て、起き上がれない。それなのに、目の前には原因らしいものが何も見えない。
今の私たちなら、そこに病原体を考えます。しかし、それを知らない時代に生きていたとしたら、どうでしょうか。
何かが体に作用している。外から何かを受けたのではないか。そう考えるのは、決して不自然なことではありません。
原因は見えないが、体は確実に変化している。この落差に説明を与えるための言葉が、邪だったのだと思います。
風には、もう一つの意味がある
ここからは、少し私自身の考察になります。
日本では昔から、山は単なる地形ではありませんでした。山には神がいて、異界がある。人の世界とは違う場所として、畏れ敬う文化がありました。
そうした世界観の中では、風も単なる空気の移動ではなくなります。
風は目に見えません。それでも、木々を揺らし、雲を動かし、肌に冷たさとして届く。何かが来ていることを、風によって知ることができる。
もちろん、これだけで風邪という言葉の語源を説明できるわけではありません。昔の人が山から下りてくる邪気を風邪と呼んでいた、と断定することもできません。
ただ、風と邪という二つの言葉が並んでいるのを見ると、そこには自然と体を切り離さない世界観があるように感じます。
風は外にあり、体は内にある。その二つの間に、完全な境界はない。外の環境によって、人の体は変化する。その変化を、人は昔から感じ取ってきました。
風邪という言葉には、その感覚が残っているのではと考えます。
私が邪気という言葉をどう使っているか
では、現代において邪気という言葉に意味はあるのか。
私は、現代の医学で説明されるものとは別に、人が場所の空気が重いと感じたり、そこにいると調子が悪くなると感じたりする経験まで、すべて切り捨てる必要はないと思っています。
ただし、それを医学的な病気の原因と断定するのも難しいと思っています。
昔の人が邪という言葉でまとめていたものの中には、体の不調だけでなく、環境への違和感や、心理的な負担まで含まれていたのではないか。私は、その広い意味で邪気という言葉を使っています。
場所に溜まるものについては部屋の空気が重いと感じるとき|霊視で捉える邪気の正体に、季節の変わり目に体が重くなることについては土用や季節の変わり目に体が重い理由|霊視鑑定師が考える境界の時期に書きました。どちらも、この広い意味での話です。
医学的な問題があれば、医学に頼る。そのうえで、自分の体が環境や季節にどう反応しているかを観察する。この二つは同時に考えるものだと思っています。
邪気という言葉が、遠くなった
邪気という言葉は、私は職業柄、日常的に使います。でも、一般的にみれば、現代では邪気という言葉を日常的に使うことはほとんどありません。
使うとしても、なんとなく嫌な感じがする、悪い雰囲気がある、という程度でしょう。
たとえば今の私たちは、まとめて「疲れた」と言います。
その中には、睡眠不足も、精神的な負担も、人間関係による消耗も、環境の変化も、単に体を使いすぎたことも、全部入っています。区別する言葉を持っていないから、一語で済ませている。
昔の人も同じように、体に起きている複雑な変化を、一つひとつの言葉で捉えようとしていた。邪という言葉も、その一つだったのだと思います。
区別のつかない疲れについては、寝ても疲れが取れないのはなぜか|霊視で視える背中の消耗にも書きました。
言葉には、当時の理解が残っている
風邪という二文字は、病原体という概念を知らなかった人たちが、病気という出来事を説明するために使った言葉だと考えています。
今の医学から見れば、風邪の原因を邪と説明することはできません。だからといって、その言葉が無意味だったとは思いません。
人は、原因の分からない出来事に名前をつけることで、それを理解しようとしてきました。名前がつけば、観察できます。観察できれば、違いが分かる。違いが分かれば、対処のしようが生まれます。
これは、昔の人だけの話ではありません。
なんとなく苦しい。何が原因か分からない。どうしてこうなっているのか説明できない。そういう状態に名前がつくと、人は少し動きやすくなります。
私が霊視でしているのも、突き詰めればこれと同じです。名前のついていない状態に、いったん説明のつく形を与える。それを絶対的な事実として押しつけるのではなく、自分が今どこにいるのかを考えるための、一つの見方をつくる。
だから私は、風邪という言葉には、そのときの世界が垣間見えるものだと思っています。
風邪をひいたら休む。そして必要なら病院に行く。そのうえで、この何気ない二文字を少しだけ立ち止まって眺めてみると、病気の名前だけではないものが見えてきます。
ここまでは昔の人の身体観の話でしたが、私自身にも、風邪としか思えない症状が出て、それでも風邪ではなかったと断言できる経験があります。医療機関を先にすべきだという立場は変わりませんが、そのときに何が起きていたのかは、40度の熱が出た夜のこと|風邪は霊障とも言える?に書きました。
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