運がいい人というと、幸運が向こうからやって来る人を思い浮かべます。
ですが、鑑定を重ねてきて私が感じているのは、少し違うことです。
同じ出来事が起きても、それを拾う人と、通り過ぎる人がいます。差があるのは、来ているかどうかではなく、拾えるかどうかのほうだと考えています。
今回は、運を気づく力として捉えるという話を書きます。
拾う人と、通り過ぎる人
人との出会い。偶然知ったこと。急に空いた時間。予定外の出来事。
こうしたものは、誰の前にも起きています。特別な人だけに起きているわけではありません。
ただ、それを何だろうと思って手に取る人と、そのまま流す人がいる。
拾った側から見れば、後になって「あのときあれがあったから」と言える出来事になります。流した側にとっては、そもそも出来事として記憶に残りません。だから、差があったことにも気づけない。
運がいい人の話を聞いて、自分にはそんなことが起きないと感じるとしたら、起きていないのではなく、通り過ぎているのかもしれません。
私が拾ったのは、一つの言葉でした
自分の話を書きます。
デザインの仕事をしていた頃、ビジネス書をよく読んでいました。成功した方の話には、必ずと言っていいほど「運が良かった」という言葉が出てきます。
最初は謙遜だと思っていました。実力でやったことを、そう言っているだけだろうと。
ですが、何冊読んでも出てくる。実力や努力の話をしている人が、最後にはそこへ辿り着く。
うまくいっている人ほど運という言葉を使うのなら、その運とは何なのか。
そこから私は、東洋占術を学び始めました。今の仕事は、全部そこから続いています。
この言葉は、ビジネス書を読む人なら誰でも目にしています。私だけが特別なものを見たわけではありません。ただ、私はそこに注目した。それだけの違いです。
当時の経緯については占いに興味があると言えなかった|視えない世間体に怯えていた頃に、そこから辿り着いた答えは占いとは「運の視覚化」である|霊視との違いと、占術の三分類に書きました。
その瞬間には、分かりません
大事なのは、拾った時点では、それが幸運かどうか分からないということです。
私も、ビジネス書に出てくる言葉に引っかかったとき、これが人生の分かれ目だとは思っていません。ただ気になっただけです。
後から振り返って、あれが始まりだったと分かります。順番はいつもそうです。
だから、幸運を探そうとしても見つかりません。幸運という札が付いた状態で目の前に来ることは、まずないからです。
来ているのは、よく分からない小さな可能性です。それが何なのかは、拾ってみるまで分かりません。
気づける状態とは、どういう状態か
では、拾える人と流す人で何が違うのか。
私は、引っかかりを持ち続けているかどうかだと考えています。
何かおかしい。なぜだろう。そう思ったことを、そのまま記憶に留める。すぐに答えが出なくても、忘れずに持っている。その状態でいると、関係のあるものが目に入ったときに気づけます。
逆に、答えを急いで出してしまうと、そこで終わります。謙遜だろう、気のせいだろう、と片付けた時点で、その先には進みません。
私が運とは何かに引っかかったのも、答えを出さずに持っていたからです。持っていたからこそ、それを扱っている世界があるのなら、そちらへ動こうとなりました。
余裕がないときほど、これは難しくなります。目の前のことで手一杯だと、引っかかりを持ち続ける場所が心の中にありません。
生まれ持ったものと、巡ってくる時期と、置かれている環境。その関係については努力が報われないのは順番かもしれない|一命二運三風水の話に書きました。
拾ってみる、というだけのこと
最後に、実際に何をすればいいのかをお伝えします。
特別なことは要りません。気になったものを、その場で片付けないでおくだけです。
読んだ本に出てきた言葉。誰かが言っていたこと。なぜか目に留まった看板。何だろうと思ったなら、そのまま持っておく。
忘れてしまうのなら、すぐにメモにとる習慣を作るでもいいです。手持ちのノートや携帯のメモアプリ。大事なのはちゃんと見返せる状態にすること。
それを、調べてみてもいいし、調べなくてもいい。ただ、なかったことにしない。
それだけで、後から繋がることがあります。私の場合は、それが十年以上かけて仕事になりました。
運とは、特別な出来事の名前ではないと思っています。目の前に来た小さなものを、これは何だろうと拾ってみる。そこから始まることが、あるというだけの話です。
EASTERN DIVINATION
運の仕組みを、読み解く
動くべきか、待つべきか。迷いの正体は、自分の運の仕組みが見えていないことです。
四柱推命・紫微斗数・易を照合し、なぜ今がその時期なのかを言葉にします。
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