運の良し悪しは、見た目に出ると私は考えています。
こう書くと、人を見た目で判定する話に読めるかもしれません。私自身、書くかどうか迷いました。お前はどうなんだと言われても仕方がない話だからです。
それでも書くのは、順番が大切ということを知ってもらいたいからです。見た目が悪いから運が悪いのではありません。逆です。
これは、他人を見分ける話ではありません
この記事は、誰かの見た目からその人の運を判定するための話ではありません。人を見て、あの人は運が悪そうだと決めることに、何の意味もないと思っています。
書いているのは、自分の状態を確認する材料としての話です。
鏡に映っているものは、自分では見えていない部分を教えてくれます。それだけの意味しかありません。
私が見ている「詰まり」とは何か
鑑定などで、うまくいっていない方に共通して感じるのが、詰まりです。
流れが来ていないわけではない。来てはいるけれど、どこかで止まって、抜け切っていない。だから溜まる。溜まったものが、重さとして外側に出てきます。
言葉にしにくいのですが、その方の周りだけ空気が動いていないような感じがある。何かを話していても、声がこちらまで届いてこない感覚があります。
ここで言っているのは、雰囲気のほうです。霊視で視えるオーラの話ではありません。誰が見ても、なんとなくそう感じるという類のものです。
なので、言葉としては覇気がないとか、元気がない。声が小さくて、何を話しているのか聞き取りづらい。という状態になっていることが多いです。
そして多くの場合、ご本人も気づいています。最近うまく笑えていない、人と話すのがしんどい。なんか、うまくいかない。そう口にされることが少なくありません。
順番が、逆になっていないか
ここが、この記事でいちばん伝えたいところです。
覇気がないから運が悪いのではありません。
何かが滞っているときに、それが先に外へ出る。声や目や姿勢は、自分で意識していない場所だからです。取り繕う前に、そこに出てしまう。
だから見た目は、原因ではなく結果です。
そして結果だからこそ、確認の材料になります。自分の状態は、自分ではいちばん見えにくい。鏡の前で声を出してみる、写真に映った自分の目を見てみる。それだけで、今どうなっているかが分かることがあります。
観相学は、見た目で判断します
ここで、自分の立場と矛盾することを書いておきます。
人相、手相、面相といった観相学は、人を見て判断する体系です。顔立ち、手の形、姿勢、仕草、癖。そうしたものを読んで、その人の傾向や現在の状況を見ます。
つまり、見た目で判断している。私自身、多くの観相学を学んでいます。
では、冒頭で書いた「人を見た目で判定する話ではない」と、どう繋がるのか。
観相学が見ているのは、良い人・悪い人という評価ではありません。今その人がどういう状態にあるか、どういう傾向を持っているかという構造です。判定ではなく、読み取りです。
そしてもう一つ。観相学には体系があります。何をどう読むのか、長い時間をかけて積み上げられた基準がある。その基準に沿って読むから、読み取りとして成立します。
基準を持たないまま、なんとなく暗そうだから運が悪いだろうと思うのは、観相ではありません。ただの印象です。
ただ、霊視ではその印象を使います
ここが、少しややこしいところです。
観相では退けられる「なんとなくそう感じる」を、霊視ではいちばん大切にします。
理由は、見ているものが違うからです。
観相は、形を読みます。目の形、口元、手の線。そこには基準があり、基準に照らして読み取る。だから印象で判断してはいけない。
霊視で先に来るのは、印象のほうです。理屈より先に、心が動く。何かがおかしい、ここは重い、この人は今しんどい。言葉になる前の感覚が最初にあって、説明は後から追いつきます。
私はこれを心象と呼んでいます。
心象は、根拠のない思いつきとは違います。長く確かめ続けていると、その感覚に精度が出てきます。感じたことと、後から分かった事実が一致する。その一致を何度も見てきたから、私は自分の印象を信じるようになりました。
つまり、印象を使っていいのは、それを検証してきた場合だけです。
確かめないまま人の見た目を判断すれば、それはただの決めつけになります。観相でも霊視でもない。私が冒頭で人を判定しないと書いたのは、その意味です。
すべてが霊的な影響ではありません
念のため書いておきます。
覇気がないと感じる状態のすべてが、霊的なものだとは思っていません。
単純に疲れていることもあります。眠れていないこともある。体のどこかに不調があることもあります。
体調に不安があるなら、まず医療機関で診てもらってください。順番として、そちらが先です。
検査をして何も出なかったとき、そこから先に別の見方が残ります。そうした状態については寝ても疲れが取れないのはなぜか|霊視で視える背中の消耗に書きました。
だから、運と健康は切り離せません
健康な状態でいることは、運の話と無関係ではありません。
体が動けば、行動できます。眠れていれば、判断が鈍りません。声が出れば、人と話せます。そうやって外と関わっている間に、何かが目に入ってきます。
逆に、重い状態にいると、目の前に来ているものに気づけません。引っかかりを持ち続ける余裕が、心の中に残らないからです。
運とは気づく力だという話は運がいい人は何が違うのか|来ているかではなく、拾えるかに書きました。気づける状態でいるためには、そもそも整っている必要がある。私が運と健康を同じものとして見ているのは、そういう意味です。
見るのは、他人ではなく自分です
この話は、誰かを判定するためのものではありません。
霊視、観相学を学んでいる立場から言えば、人の見た目からその人の状態を読むことはできます。できるからこそ、体系として残ってきました。
ただ、読めることと、読んでいいことは別です。
相手が望んでいないのに勝手に視る。それを本人に伝える。事情も背景も知らないまま、その人の全部を分かったつもりになる。私はそれをしません。視える側だからこそ、線を引く必要があると思っています。
どこに線を引いているかは占い師として、どこに線を引くかに書きました。
そして、この記事を読んでいる方に必要なのは、他人を読む技術ではありません。
見るのは自分です。
今日の自分の声はどうか。どこを見て歩いているか。人と話すときに、顔が上がっているか。
そこに出ているものは、自分の状態です。気になったなら、まず休んでください。それが、いちばん確実に効きます。
EASTERN DIVINATION
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動くべきか、待つべきか。迷いの正体は、自分の運の仕組みが見えていないことです。
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