この選択で合っているのか。進むべきか、引くべきか。
考え尽くしても答えが出ないことがあります。材料も揃っている、論理も通っている、それでも決められない。
そういうとき、私は易を立てます。
答えを求めて立てるのですが、実際に出たものを見ると、驚くようなことは少ないです。
背中を押されるより、確かめている感覚に近いです
自分のことで、易を立てて出た答えを見たとき、多くの場合「やっぱりそうだよね」と思います。
驚くような答えが降ってくることは、そう多くありません。どちらかといえば、すでに自分の中にあったものを確認している感覚のほうが大きい。
判断が変わることもあります。進もうと思っていたのに止まる、その逆もある。ただ、それも外から命令されたというより、見落としていた側の材料が浮かび上がってきた、という感じに近いです。
易を立てるとは、今を切り取る行為です
易を立てる、という言い方をします。占う、ではなく立てる。
何をしているのかというと、今この瞬間の状況を、一つの形として取り出しています。
問いを決めて、その場で卦を出す。出たものが、今の状況を表しているものとして扱われます。写真を撮るのに近いかもしれません。動き続けているものを、ある一点で止めて、形として見る。
だから、易には有効期限のようなものがあります。状況が変われば、同じ問いでも別の卦が出ます。一度立てたものが、いつまでも正しいわけではありません。
命術との違いはここです。生年月日から読むものは、いつ読んでも同じ答えが出ます。変わりません。易は、立てた瞬間のものです。
そして、何を問うかを決めるのは自分です。ここが意外と大事だと思っています。漠然と「どうなりますか」と立てても、返ってくるものは漠然としています。転職すべきか、今動くべきか。問いが具体的なほど、返ってくるものも具体的になります。
問いを立てる時点で、自分が何に迷っているかを整理することになる。易を立てる作業の半分は、そこだと思っています。
易は、陰と陽の二つだけでできています
仕組みの話をします。
易と聞くと、竹の棒をじゃらじゃらさせる古い占いを思い浮かべる方が多いと思います。ただ、中身は単純です。
使うのは陰と陽の二つだけ。陽は能動的で、進む方向。陰は受動的で、退く方向。
この二つを六回積み重ねると、六十四通りの組み合わせができます。六十四卦です。この六十四で、あらゆる状況を分類していきます。
要素が二つしかないのに、それを重ねることで細かく分かれていく。構造としては、かなり簡素です。
「当たるも八卦」は、当たり外れの話ではありません
当たるも八卦、当たらぬも八卦という言葉があります。これは易から来ています。
ただ、易が得意とするのは予言ではありません。今どう動けばいいか、という判断のほうです。
命術と卜術の違いで言うと、命術は人生という地図を見るもの、卜術は今の天気を見るものです。この使い分けについては、命・卜・相を、天・人・地と重ねて考えているに書きました。
地図を持っていても、今日の天気は分かりません。逆に、天気だけ分かっても、どこへ向かうかは決まらない。
だから私は、長期的な運勢は四柱推命などで見て、今の具体的な行動を決めるときに易を立てます。役割が違います。
易という字は、変化を意味しています
易の語源には諸説あります。
私が支持しているのは、十二時虫と呼ばれるトカゲから来ているという説です。このトカゲは、光の変化に合わせて一日に十二回も体の色を変えると言われていました。色が易わる。そこから変化を意味するようになった、という話です。
実際、『易経』の英題は『Book of Changes』、変化の書です。
つまり易は、吉凶を占うためのものというより、この世の変化の法則、もっと言えば時について書かれたものだと私は捉えています。
変化の中にも、変わらない法則があります
易には、易の三義と呼ばれる考え方があります。
変易。すべては止まることなく変化し続けている。人生も、周りの状況も、常に移り変わっています。
不易。ただし、その変化には変わらない法則がある。冬の次には春が来ます。夜が明ければ朝になる。順序が逆になることも、ランダムに飛ぶこともありません。
易簡。だから、物事は思っているほど複雑ではない。今は冬だからじっとしていよう、もうすぐ夜が明けるから準備しよう。そういう判断の仕方ができます。
変化するけれど、変化の仕方には順序がある。この二つが同時に成り立っているというのが、易の見方です。
分からなくなるのは、今がどの季節か見えなくなるときです
悩みが深くなるのは、自分が今どこにいるか分からなくなったときだと思っています。
冬なのに種を撒こうとする。夏なのに厚着をしている。やっていること自体は間違っていなくても、時期と噛み合っていない。そうすると、努力しているのに手応えがない状態になります。
易を立てるというのは、複雑な状況の中から、今の時期を割り出す作業です。
今がどこかが分かると、やることが減ります。動く時期なら動く。待つ時期なら待つ。選択肢が絞られるので、迷いが小さくなる。
動く時期と蓄える時期の見分け方については、今は動く時か、蓄える時か|易経の構造で自分の立ち位置を読むにも書いています。
短期の判断に向いています
易が力を発揮するのは、具体的で短期的な場面です。
転職するか留まるか。今のプロジェクトがなぜ停滞しているのか。このまま進むと数ヶ月後どうなるか。
こういう問いに対して、易ははっきりした答えを返します。今は山のように動くな、雷のように即決せよ。曖昧ではありません。
一方で、その人が生まれ持った性質や、十年単位の運の流れは、易では見ません。そちらは命術の領域です。
厳しい答えが出たときは、そのまま伝えます
易の答えが、望んでいるものと違うことがあります。
そういうとき、私は正直に伝えます。オブラートには包みますし、フォローもします。ただ、言わなければならないことは、しっかり伝えます。
伝え方を和らげることと、内容を変えることは別だと思っています。柔らかく言うのはいい。でも、伝えるべきことを飲み込んでしまうと、相談を受けた意味がなくなります。
厳しい答えが出たとしても、それは「あなたが悪い」という話ではありません。今の時期がそうだ、というだけの話です。時期は変わります。
確かめる道具として使ってみてください
易を立てる前に一度、自分がどう思っているかを見ておくといいと思います。
それがあると、出た答えとの差が見えます。差がないなら、自分の判断が裏づけられたということです。差があるなら、そこに何かある。
出た結果を見て、やっぱりそうか、と思う。あるいは、そこだったか、と気づく。自分の中にあったものを、外に出して確認する。私にとっては、そういう使い方が実感に近いです。
判断が自分でつかないときの考え方については、占いに頼る前に、まず自分で考える|依存させない鑑定師の線引きにも書きました。
EASTERN DIVINATION
運の仕組みを、読み解く
動くべきか、待つべきか。迷いの正体は、自分の運の仕組みが見えていないことです。
四柱推命・紫微斗数・易を照合し、なぜ今がその時期なのかを言葉にします。
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