11年使っていたキーボードが、ついに寿命を迎えました。デザイナーとして働いていた頃から、鑑定師として歩き始めてからも、ずっと同じものを使っていました。
今は急ぎで買った代替品でしのいでいますが、正直なところ「これじゃない感」が拭えません。性能は今のもののほうが上のはずなのに、そう感じます。
この違和感は何なのか。書きながら考えてみたら、鑑定でよく聞く話と同じ形をしていました。新しい場所に移ったのに、どうにも馴染まない。そのときに出るぎこちなさが何なのかを、道具の話から書きます。
左手で文字を書いているようなもどかしさ
キーを叩く深さ、指先の跳ね返り、音。これまで無意識にやっていたはずの動作が、道具が変わった途端に全部狂います。
まるで左手で文字を書いているようなぎこちなさです。一歩進むたびに足元を確認しなければならない感覚のまま、今この記事を書いています。
面白いのは、不満の中身が具体的に言えないことです。どこが悪いのかと聞かれても、遅いわけでも打ちにくいわけでもない。ただ、手が覚えているものと違う。それだけです。
つまりこれは、新しい道具の性能の話ではありません。私の側にある、11年ぶんの慣れの話です。
11年ぶんの時間が、道具のほうに預けてある
なぜ「これじゃない」と感じるのか。壊れたほうのキーボードには、11年ぶんの時間が乗っているからだと思います。
徹夜で広告を作っていた頃も、鑑定を始めてから記事を書いてきた時間も、全部あの打鍵感の中で過ぎています。道具を替えるということは、その時間との接点が一つ切れるということです。
これは、物を手放せない方の話と同じ構造です。持ち続けることで、あの頃の自分との繋がりが保たれている。手放すと、その繋がりのほうが切れる感じがする。だから手が止まります。私の場合は壊れて選ぶ余地がなかっただけで、心の動きとしては変わりません。この仕組みはなぜ物が捨てられないのか|霊視で視えた「手放せない」三つの構造に書きました。
自分で体験してみると、これは意志の強さの話ではないと改めて思います。
人生が変わるときも、同じぎこちなさが出ます
同じことが、人生の選択にも起きます。
私たちは、今の環境に不満があったとしても、どこかで慣れ親しんだ自分に安住します。そこから抜け出して新しい場所へ踏み出そうとするとき、必ず違和感とストレスが出ます。
慣れ親しんだ人間関係を変えるとき。長年勤めた環境を離れるとき。これまでの価値観を手放すとき。どれも同じです。
そのときのもどかしさは、間違った道を選んだから出ているのではありません。新しい自分に、まだ手が慣れていないだけです。判断の良し悪しと、慣れていないことによる違和感は、別のものです。ここを混ぜてしまうと、選択そのものを疑い始めます。
ぎこちなさに耐えられず、戻ってしまう人がいます
新しいキーボードが手に馴染むまでには、しばらくかかるでしょう。何度もタイプミスをして、ため息をつくと思います。
けれど、それを越えたところにしか、次の速度はありません。
鑑定の場でよく見るのは、この最初のぎこちなさに耐えきれず、元の場所へ引き返してしまう形です。戻ればすぐ楽になるので、判断としては合理的に感じられます。ただ、戻った先にあるのは、前と同じ場所です。
焦りが判断を狂わせる仕組みについては実力不足ではない|焦りが運気を落とす仕組みを霊視から読むに書きました。慣れるまでの期間を、実力の問題として受け取ってしまうと、そこで折れます。
新しいリズムは、あとから来ます
もし今、何か新しいことを始めていて、耐え難いもどかしさの中にいるなら。それは、変化の途中にいるということだと思います。
無理に慣れようと焦る必要はありません。ぎこちなさは、時間が経てば減っていきます。減るまでのあいだ、それを失敗の証拠として数えないことだけが大事です。
私もこの使いにくいキーボードを叩きながら、そのうち来るであろう「手に馴染む感覚」を待ってみようと思います。11年前も、たぶん最初はこうだったはずです。
CONSULTING
判断の材料を、揃える
決めても、それが良かったのかを確かめる相手がいない。だから経験が次に積み上がらない。
決めて、動いて、結果を確かめる。この一周を6ヶ月かけて一緒に回します。
鑑定を受けた方が対象です。事前の面談は行っていません。鑑定日から1ヶ月以内のお申し込みで、鑑定料 ¥20,000 を差し引きます。
まず霊視鑑定から
