命式や手相の写真を貼って、どなたか無料で鑑定してもらえませんかという投稿を見かけます。
そして、それに返信がつく。この星があるのでこういう傾向です、この線はこういう意味です、と。
軽い気持ちのやりとりだと思います。聞く側も、答える側も、そこまで深く考えていない。
ただ私は見ていて、余りいい気持ちにはなりません。誰かが得をしているようで、実はどの側も損をしているからです。
今回は、無料で視てもらうときに何が起きているのかについて書きます。
一言もらって、そこで終わります
まず、受け取る側の話です。
無料で視てもらうと、返ってくるのはざっとわかる範囲です。この星があります。ここに黒いものが視えます。こういう傾向があります。
そして、そこで終わります。
続きがありません。なぜその星がそう働くのか。今の自分の状況とどう繋がっているのか。だから何をすればいいのか。そこまでは、返信の中には入っていません。
言われました、という事実だけが残る。
これは私が鑑定の場でよく聞く話でもあります。以前どこかで何かを言われて、その意味が分からないまま抱えている。色のことを言われた方もいれば、命式の星のことを言われた方もいます。
言われた内容が間違っていたわけではないのかもしれません。ただ、その方にとっては、意味の分からない言葉が一つ増えただけになっている。
言葉が残り続けるという話は霊がついていると言われた|こびりついているのは言葉のほうですに書きました。
意見が割れたとき、何で選んでいますか
聞き返せないわけではありません。
実際に見ていると、それはどういう意味ですかと遠慮なく重ねて聞いている方もいます。そして、丁寧に答えが返ってくることもあれば、そうでないこともある。何も返ってこないまま流れていくことも、珍しくありません。
そこはやりとり次第です。
ただ、それとは別に、この形にはもう一つの問題があります。
答えるのが、一人とは限らないということです。
一つの投稿に、複数の方が返信をします。そして、書かれていることが一致しません。この星はこういう意味だという人がいて、いやそれは逆だという人がいる。短く一言だけの人もいれば、長く丁寧に書き込んでいる人もいる。
受け取る側からすれば、どれを参考にすればいいのか分かりません。
そして、見ている限りですが、丁寧に書かれているほうが受け取られている印象があります。
丁寧さは、正しさとは別です
これは、自然なことだと思います。
ちゃんと向き合ってくれた人の言葉を信じたくなる。時間をかけて書いてくれた文章のほうが、正しく思える。私も、読む側ならそうなるかもしれません。
ただ、丁寧に書けることと、その内容に根拠があることは別です。
長く書くのは、知識がなくてもできます。むしろ、体系に沿って読んでいる人ほど、断定を避けて短く答えることがあります。逆に、根拠のない話ほど、言葉を尽くして書けてしまう。
かといって、短いから正しいわけでもありません。大切なのは、どれだけ書かれているかではなく、何を根拠にしているかです。
だから、文章の温度で選ぶと、判断を誤ります。
黒いオーラが視えると言われた方に、私が「黒いオーラ」は死の前兆ではない|霊視で視える2種類の黒で「なぜその色が出ているのか聞いてみてください」と書いたのも、そこです。確かめるのは、丁寧さではなく根拠のほうです。
丁寧に答えているのが、プロである場合
そのうえで、正直に書いておきたいことがあります。
そうした場で丁寧に答えている方の中には、それを仕事にしている方もいます。
集客を考えてのことなのかもしれません。まず知ってもらう、という意図は分かります。
ただ、私はそこに疑問を持っています。
対価をいただいて渡しているものと、同じ種類のものを、そうでない場所で渡している。プロとして、それでいいのだろうかと考えてしまいます。
これは、その方々を責めたいのではありません。私にはできない、という話です。理由は、次に書きます。
プロとして、どこまで無料で渡すのか
ここからは、渡す側の話です。
対価をいただいて渡している技術と、同じ種類の判断を、対価のない場所でも出す。その線引きがないまま両方をやっていると、何に対してお金をいただいているのかを、自分で説明できなくなります。
説明できないものに、対価は設定できません。
そしてこれは、お金を払ってくださった方への話でもあります。
無料の一言と、時間をかけた鑑定とでは、中身が違います。ただ、その違いを説明するのは、受け取った側ではなく提供した側の責任です。説明できないままなら、払った方は何に対して払ったのか分からなくなります。
私が無料で視ないと決めているのは、その説明ができる状態を保つためです。
一往復では、その後を引き受けられません
これは、視た側の問題でもあります。
無料で一言渡すだけの形では、その後を引き受ける機会がありません。
相手がその言葉をどう受け取ったか。不安になっていないか。誤解していないか。確認する機会がありません。投稿に返信して、そこで終わりです。
人の状態について何かを言うのは、本来は重いことだと私は考えています。相手の生活や判断に触れる可能性があるからです。
対価をいただくというのは、その重さを引き受けるということでもあります。だから私は、鑑定では断定を避けますし、その場で聞き返せる状態を作ります。
ここに線を引いている理由は占い師として、どこに線を引くかに書きました。
軽く扱われる前提が、作られていきます
次に、全体の話をします。
無料で視てもらえるものだ、という前提が広まると、この仕事は軽く扱われるようになります。
そして軽く扱われた結果、当たらなかった、詐欺だった、という話が出てくる。これは順番として自然なことです。軽く渡されたものは、軽く受け取られます。
私が困るというより、受け取る側が困ります。断片だけを手渡されて、それが占いというものだと思ってしまう。判断の材料にもならないものを、判断の材料だと思ってしまう。
そのうえで受けた鑑定が期待に届かなければ、占いは当たらないという結論になります。この構図については占いは7〜8割です|当たるとは何が当たっているのかにも書きました。
それでも、無料が成立する場合はあります
ここまで書きましたが、無料が常に成り立たないという話ではありません。
学びのために募集をかける場合は、別です。
自分が練習したい。検証したい。だから無料で受ける代わりに、感想をいただきたい。この形なら、対価が発生しています。お金ではないだけで、交換が成立している。
視た側は経験と検証結果を受け取り、受けた側は鑑定を受け取る。どちらも、何を渡して何を得るのかがはっきりしています。
問題になるのは、そこが曖昧なときです。
自分のことを知るために、いくら払うか
もう一つ、書いておきたいことがあります。
先に断っておくと、経済的に厳しい時期は誰にでもあります。私にもありました。そういうときに無料のものを探すのは、当たり前のことです。ここに書くのは、そうでない場合の話です。
人生をよくしたい。今の状況を変えたい。そのための材料が欲しい。
その気持ちがありながら、それを無料で手に入れようとしている。ここには、少し考えてみる余地があると思っています。
お金を払ったほうが偉い、という話ではありません。ただ、自分の人生を動かすための情報を、対価なしで手に入るものとして扱っている。そこには、自分のことをどのくらいの重さで見ているかが出ます。
自分の価値は、その程度でいいのか。
これは、私が答えを持っている問いではありません。ただ、一度立ち止まって考えてみる価値はあると思っています。
そして、これは私の実感ですが、対価を払って受け取ったものは、受け取る側の姿勢も変わります。同じ内容でも、聞き方が変わる。持ち帰り方が変わる。
無料で受け取ったものは、無料の重さでしか残りません。
少なくとも私の場合は、そうでした。
誰に何を渡すかは、決められます
無料で視てもらうこと自体を、悪いことだと言うつもりはありません。気軽に聞いてみたい気持ちは、分かります。
ただ、これは飲食店に入って、少しでいいから食べさせてほしいと頼むのに似ています。悪気はなくても、そういう頼み方になっている。
そして、そこで出てくるのは一口分です。その一口で、店の料理を判断することはできません。
得られるのは断片です。その断片に、自分の判断を預けないでください。
意味が分からないまま抱えることになるくらいなら、最初から受け取らないほうがいい。そして、本当に知りたいことがあるなら、聞き返せる場所で聞いたほうが早いと思います。
自分で考えることと、人に聞くことの順番については占いに頼る前に、まず自分で考える|依存させない鑑定師の線引きに書きました。
CONSULTING
判断の材料を、揃える
決めても、それが良かったのかを確かめる相手がいない。だから経験が次に積み上がらない。
決めて、動いて、結果を確かめる。この一周を6ヶ月かけて一緒に回します。
鑑定を受けた方が対象です。事前の面談は行っていません。鑑定日から1ヶ月以内のお申し込みで、鑑定料 ¥20,000 を差し引きます。
まず霊視鑑定から
