双子は、同じ運勢になるのでしょうか。
同じ日に、同じ場所で、ほとんど同じ時刻に生まれている。だとしたら、占いの結果も同じになるはずだ。そう考えるのは自然です。私も昔、同じことを思っていました。
私自身が双子です。二卵性ですが、生まれた時間の差は一分です。
その一分の差で、私たちは何がどう違っているのか。命式が同じなら、人生も同じになるのか。この問いを、私は当事者として、そして鑑定する側として、考えてきました。
結論を言うと、同じにはなりません。ただし、無関係でもありません。
命式が示しているのは、器のほうです
まず、生年月日と時刻から読むもの、つまり命式が何を示しているのかを整理します。
命式が示しているのは、器です。素材と言い換えてもいい。何を持って生まれてきたか、どういう性質が備わっているか。四柱推命でいう命の部分です。
これは、生まれた瞬間に決まります。選べません。変えられません。
だから、生まれた時刻がほぼ同じなら、器はほぼ同じになります。ここまでは、多くの方が想像する通りです。
問題は、その先です。器が同じでも、そこに何を入れるか、どう使うかまでは決まっていません。
そして、同じ器を持って生まれた二人が、まったく違う場所に立つことがあります。
自我が違えば、当然選ぶものが変わります
命式が同じでも、自我は別々です。
同じ家に生まれ、同じ親に育てられ、同じ食事をしていても、感じ方は違います。何を面白いと思うか。何に耐えられないか。どこで力が出て、どこで消耗するか。
その積み重ねで、性格が分かれます。好みが分かれます。進路が分かれます。
私の場合、もう一人は体を動かすほうが好きです。私は、頭を使って考えるほうが好きです。同じ時間に生まれているのに、ここが正反対でした。
仕事も、まったく別のものを選んでいます。
だから私は、同じ命式だから同じになる、とは考えていません。器が同じでも、そこに入る自我が違えば、出てくる形は変わります。
そして、相があります
もう一つ、大きな要素があります。相です。
人相、手相。顔の作り、手のひらの線。これは生まれた時刻では決まりません。二卵性であれば当然違いますし、一卵性であっても完全に同じにはならないと私は考えています。
相が出る場所は、顔や手だけではありません。
体格や骨格といった体の作り。体にできた痣や傷。身につけているもの。住んでいる場所や、部屋の中の配置。風水も、広い意味では環境に出た相です。
つまり、相はいたるところに出ています。
私が普段見ているのも、たぶんここです。人相学として学んだわけではなく、自分なりの理屈と検証で組み立ててきたものですが、全体を見ている。体相と呼ぶのが近いかもしれません。
相とは、霊的世界と現実世界を繋ぐものです
ここが、私がいちばん伝えたい部分です。
相とは何か。私は、霊的世界と現実世界を繋ぐものだと考えています。
視えない側で起きていることが、見える側に形として出てくる。それが相です。ただ、それだけではありません。形が先にあることで、視えない側がその形に沿っていくこともあります。
鶏が先か卵が先かという話に似ています。
象っている(かたどっている)から、その状態になる。その状態だから、象(しょう)が出てくる。どちらが原因でどちらが結果とは言い切れません。相は二つの世界にまたがっていて、両方に影響し続けている。私はそう捉えています。
だから、相を整えることには意味があると考えています。形を変えれば、視えない側にも作用する。逆に、視えない側が変われば、形にも出てきます。
双子の話に戻すと、命式は同じでも相は違います。そして相が違えば、そこから先に起きることも変わっていきます。
環境も相の一つだという話は、家でくつろげないのはなぜか|部屋の角が発している気の話にも書いています。
私と、もう一人の違い
私が視るとき、色や形としても捉えますが、重視しているのは状態であり、質としてどう捉えているかです。
その視点でもう一人を見ると、明らかに質が違います。
私よりもアクティブです。活発で、はかはかしている。動いている感じがある。こう書くと、では私は元気がないのかと思われるかもしれませんが、そういうことではありません。元気の量ではなく、性質の話です。
同じ命式を持ち、一分違いで生まれた二人が、質としてはっきり違う。これは自分自身のことなので、はっきり言えます。
一卵性はどうなのか、という問いについて
同じ生年月日、同じ時刻、しかも遺伝子まで同じ。だとしたら同じになるのではないか。
この疑問は、もっともだと思います。そして、この問いを持つこと自体が大事だと考えています。検証しようとする姿勢だからです。
私の認識としては、一卵性であっても、必ず同じにはならないと考えています。
理由は、さきほども述べた相です。顔立ちが似ていても、細部は違います。手相も違います。体にできる痣も、傷も、住む場所も、身につけるものも違う。相は生きている間に増えていくものなので、時間が経つほど差が出ます。
私は一卵性の双子の方を鑑定したことがありますが、片方だけです。二人同時に鑑定をしたというのは経験がありません。占術の種類も違ったので、二人を並べて突き合わせる形の検証はできていません。
なので、これは検証済みの結論ではなく、私の見立てです。
同じ運の中で生きている、という考え方
では、双子はまったく無関係なのか。そうでもありません。
私ともう一人は、仕事の内容がまったく違います。それでも、紫微斗数で見ると、命宮と官禄宮から読み取れる方向に、二人とも収まっていました。
命宮というのは、その人の生き方や本質、人間性の根本を見る場所です。どんな価値観で人生を歩むか、どういう存在として立つか。
官禄宮というのは、紫微斗数で仕事や社会での立ち位置を見る場所です。どういう働き方が向いているか、どういう場で力を発揮するか。そういうものが出てきます。
職種は違うのに、そこから読める傾向には、二人とも該当していた。
これを見て、私はこう考えるようになりました。
同じになるのではない。同じ運の中で生きている、というほうが近い。
川に例えるなら、流れは同じです。どこを泳ぐか、どの速さで進むか、何を見ながら行くかは違います。だから同じ場所には着きません。ただ、その川から出ることはない。
流れの中には収まる。これが、双子という関係に対する今の私の理解です。
同じ材料を持っていても、同じものにはなりません
双子でなくても、この話は当てはまると思っています。
同じような環境で育った人、似た資質を持っている人、同じ資格を持っている人。同じ材料を持っていても、同じものにはなりません。
差を生むのは、自我と、相です。
何を選ぶか。どう積み重ねるか。そしてその積み重ねが、どういう形になって表に出てくるか。命式は出発点であって、到着点ではありません。
もし今、自分と似た誰かと比べて、なぜ違うのかと考えているなら。材料が同じでも、そこから先は別のものになります。それは当たり前のことで、悪いことではありません。
EASTERN DIVINATION
運の仕組みを、読み解く
動くべきか、待つべきか。迷いの正体は、自分の運の仕組みが見えていないことです。
四柱推命・紫微斗数・易を照合し、なぜ今がその時期なのかを言葉にします。
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