最近、食事が疎かになっていました。
忙しくなったり、物事に集中すると、流れを切りたくないので手軽に済ませてしまう。ひどいときには食事を抜く日も多々ありました。それがいつの間にか当たり前になっていました。小腹が空いたらパンをかじる。それで十分だと思っていました。
夜中になって、少し時間ができたので、ちゃんとしたものが食べたいと思ってサンドイッチを作りました。
夜だったのもあったので、サニーレタスを敷いて、レッドオニオンをスライスして、ツナを乗せて、マヨネーズをかける。それだけのシンプルなものです。
でも、口に入れた瞬間、感動したんですよね。
野菜のみずみずしさ、食感の重なり、満足感。いつも済ませていたものとは、まったく別次元で感動したんですよね。いつも以上に美味しいって感じて、心が潤うという感覚を、久しぶりに思い出した瞬間でした。
会社に殺されていると感じていた20代
デザイナーとして働いていた頃の話をします。
大手企業の広告を担当していました。徹夜が当たり前で、家に帰れない日が続く。会社で朝を迎えて、そのまま次の日の業務をこなす。それが普通でした。
食事はコンビニかカップラーメン。お腹は空いているのに、疲れすぎて食べる気力もなく、そのまま眠ることもありました。食べられたらいい、それだけ。食事が体にとって何を意味するのか、そんなことを考える余裕はまったくありませんでした。
自分の時間は存在しない。だから、何のために生きているのかわからない。残っているのは苦しいという感情だけ。冗談ではなく、あの会社に殺されるっていう感覚を持ちながら働いていました。
そんな体を身を粉にして働いてきたことがきっかけなのか、ある夜中、腹痛で目が覚めました。
脂汗が出るほどの痛みで、自分で救急車を呼びました。結果は尿管結石。20代前半での発症でした。医師には生活習慣を見直すよう言われましたが、生活のためには仕事をしないといけない。
その出来事をきっかけに、食事と体を意識するようになりました。でも当時の私が気づいていなかったのは、食事が体だけの問題ではないということ。それに気づいたのは、霊視の仕事を始めてからのことです。
「済ませる」と「作る」は、別の行動です
霊視の仕事をするようになってから、お客様ののエネルギーを読む場面で気づいたことがあります。
疲弊しているとき、消耗しているとき、自分を後回しにし続けているとき、その人のエネルギーには共通した質感があります。渇いている、という感じです。受け取る余地がなくなっている。注いでも注いでも、底から抜けていくような状態です。
そういう方に話を聞くと、多くの場合、自分のための時間がほとんどないという事実が出てきます。仕事、家事、人間関係。何かのために動いているけれど、自分のためにしていることが思い当たらない。
このエネルギー枯渇の仕組みについては、別の記事で詳しく解説しています。

面白いことに、それは食事の話と仕組みが一致しています。
「済ませる」食事は、カロリーとして体に入ります。でも「作る」食事は、自分のために何かをしたという事実が加わります。その一手間が、魂への行動になっています。
マヨネーズだけのパンと、野菜を一枚重ねたサンドイッチ。作業量としてはほんの少しの差です。でも体験としては、まったく別のものでした。自分のためにしたという事実が、食べる前から体験の質を変えているのです。
考えてみれば、デザイナー時代の私はあらゆることを「済ませて」いました。食事だけではなく、生き方そのものが「済ませる」になっていた。誰かのために成果物を作り続けながら、自分のためには何もしていなかった。あの尿管結石は、体が出した限界のサインだったと今は思っています。そして体だけではなく、魂もずっと渇いていたのだと思います。それに気づいたのは、ずいぶん後になってからのことでした。
日常の空間も同じ仕組みで動いています。床にモノが溢れた部屋と、足元が整った部屋では、エネルギーの質がまったく違います。
満足度を分母に置くと、計算が変わります
素材を追加するほど、お金がかかると考える方もいると思います。
でも、心の充足感を基準に考えると、計算がまるで変わります。安く済ませたはずの食事は、満たされない感覚を積み重ねます。少しの素材を加えた食事は、心の潤いをもたらしました。
コスパとは、何を分母に置くかで変わります。
お金だけを見れば、手軽な食事のほうが安い。でも満足度を分母に置いたとき、どちらが本当にコストパフォーマンスが高いか。答えは明らかでした。
これはお金の話というより、自分への投資の話だと思っています。一手間は時間でも労力でもなく、「自分のためにする行動」そのものです。その積み重ねが、エネルギーの質を変えていきます。消耗しているクライアントに共通しているのは、この自分への投資が長期間止まっているという事実です。大きなことでなくていい。今夜の食事を少しだけ丁寧にする、それだけで十分です。
霊性というと、特別な修行や体験を想像する方もいます。
でも私が考える霊性は、もっと地に足のついたものです。日常の中で、自分を丁寧に扱うこと。小さな一手間を、後回しにしないこと。それが積み重なって、エネルギーの質が変わっていきます。
デザイナー時代の私には、その余白がありませんでした。食事を丁寧に取ることも、自分のために何かをする時間も。だから渇いていました。体が悲鳴を上げるまで、それに気づくことすらできませんでした。
心の潤いは自分で作れます。自分のためにした、という事実が積み重なっていけばいい。
日常の中に、霊性は宿っています。
特別な場所に行かなくても、誰かに何かをしてもらわなくても、今日の食事を少しだけ丁寧にするだけで、魂は潤います。
まず、自分に食べさせてあげることから始めてみてください。

