朝起きて、最初に何をしているか。
意識していない方が多いと思います。私も昔はそうでした。目が覚めて、なんとなく動き出して、気づいたら一日が始まっている。
今は決まっています。神棚の水を替えて、天津祝詞を唱える。それだけです。時間にすると5分ほど。
目が覚めたら、一番最初にやっています。
起きたときの、スイッチとして
なぜこれを最初に置いているかというと、切り替えのためです。
寝ている状態から起きている状態へ、体は自然に移行します。ただ、意識のほうは少し遅れます。まだ半分眠っているような、輪郭のはっきりしない時間がある。
そこに一つ決まった行動を置くと、そこが区切りになります。これをやったから、今日が始まった。 そういう認識が生まれる。
内容そのものよりも、決まった行動が毎朝同じ場所にあることのほうが効いていると思っています。
水を替えることには、二つの意味があります
一つは、神様へのお供えです。これは説明の要らない部分だと思います。
もう一つは、循環です。
空間に水がある。それを毎日入れ替える。この行動には、循環という意味が備わります。行いそのものが意味を持っていて、それが運に作用すると私は考えています。
言い換えると、水を替えるという行動は、目に見える側と見えない側の両方に届いている。お供えという意味と、循環という意味。この二つが同時に成立しています。
替えないなら、置かないほうがいい
例えば、神棚に水を上げていて、それを一週間に一度しか替えていない。この状態は、あまり良くないと私は考えています。
理由は単純で、水が滞っているからです。滞りは、停滞です。
お供えしたものが放置されている。循環させるために置いているものが、循環していない。それなら、最初から置かないほうがいい。上げていないことより、上げたまま放置していることのほうが問題だと思っています。
続かないと分かっているなら、始めないという選択があります。中途半端な状態を長く抱えるより、そのほうが健全です。
一年のうち三日だけ丁寧にやって、あとは忘れている。そういう形にするくらいなら、やらないほうがいい。
自分の中でも罪悪感が生まれません。
神棚がなくても、同じことができます
ここまで神棚の話で書いてきましたが、神棚が必要だという話ではありません。
循環という意味では、コップ一杯の水を替えるという行動自体が、開運のアクションだと私は捉えています。
コップに水を入れて、決めた場所に置く。朝になったら、それを替える。それだけで、水が留まらずに動いている状態が作れます。神棚があるかどうかは、この部分には関係ありません。
祝詞も同じです。私は天津祝詞を唱えていますが、それが条件ではありません。手を合わせるだけでもいいし、何も言わなくてもいい。決まった行動が、毎朝同じ場所にあること。 そこが要点です。
続けられる形にしておくこと
朝の習慣として、いくつもの手順が挙げられていることがあります。掃除をして、換気をして、白湯を飲んで、瞑想をして。
一つひとつは悪いことではありません。ただ、全部やろうとすると、たいてい続きません。
私が水を替えることだけにしているのは、これなら毎日できるからです。5分で終わる。特別な準備も要らない。続かない立派なものより、続く簡素なもののほうが意味があります。
水の話に限らず、朝に何かを置くなら、明日も明後日も同じようにできる形にしておくことだと思っています。
一日の区切りとして使う
区切りを意識すると心持ちが変わる、というのは一日単位でも起きます。
年の区切りについては誕生日に運が変わるのではない|切り替わるのは自分の心持ちに書きましたが、仕組みは同じです。日付や行動そのものに力があるのではなく、区切りとして受け取るから、姿勢が変わる。
朝はその区切りが毎日来ます。一年に一度ではなく、365回ある。
明日の朝、コップ一杯から
やることを増やす必要はありません。
朝に一つだけ、決まった行動を置く。私にとってはそれが、水を替えて祝詞を唱えることでした。
神棚がなければ、コップ一杯の水で構いません。置いて、翌朝替える。それだけです。
一つだけ条件があるとすれば、続けられる形にしておくこと。替えられないなら、置かないほうがいい。それは前に進んでいない状態を、毎日目にすることになるからです。
部屋そのものの気の流れについては、部屋の空気が重いと感じるとき|霊視で捉える邪気の正体に書いています。
EASTERN DIVINATION
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